学習性無力感の日々。

学習性無力感の日々。

掠れそうな引きこもりニートの呟き

医師の診断を拒否した小学生の自分

 小学生の頃、自分は県庁所在地に建つ大学病院に連れて行かれたことがある。

 親は自分に説明などしなかったが、それはおそらく発達障害の診断だったのだろう。

 連れてこられて医師と向き合った自分は固く口を閉ざして何も喋ろうとしなかった。

 何故、意地でも喋らなかったのか。

 

 一つ目の理由は医師から投げかけられた質問を正直に答えたら親にそれが伝えられると思い、それが怖くて嫌だったから。

 今も昔も自分は親に内面をさらけ出すなんてことはできず、さらけ出そうとすることは恐怖でしかなかった。

 理解されず否定され本当の意味で孤独になるのを恐れていたから。

 自分はどうすることもできなかった。

 

 二つ目の理由は自分は発達障害であるのではないかと、その時点の自分も疑っていたから。

 家の本棚には親が買い集めた何本かの発達障害に関する本が並んでおり、それを親の居ない間に見た覚えがある。

 それを読んでいる内に自分はそうではないのかと気付き、それを認めたくはないという恐怖が小学生の頃の自分にはあった。

 他人とは違うという前々から薄々感じていた事実をどうしても認めたくはなかった。どうしても耐えきれなかった。

 

 三つ目の理由はもし話してしまうと自分は通常の学級から特別支援学級に入れられてしまうのではないか、という恐怖。

 子供にとって学校は社会そのものであり、世界が学校内で完結しているようなもの。

 その枠からはみ出し特別支援学級に入れられるというのは恐怖でしかなかった。

 もし、あの場で医師に話をしていたとして実際に特別支援学級に入れられたのかは不明だが、今も昔も薄っぺらい無意味なプライドだけは一人前な自分にはそんな最悪の事態が起こる危険性のある行動は絶対に拒否するしかなかった。

 

 あの場において自分が取れる選択肢は医師の診断を拒否することしか方法はなかった。少なくとも、その時の自分はそう考えていた。

 結局覚えている限りでは、その時の自分が何も話さないことで判断することができないということになり結果的に何も診断が下らずに済むことになったのであった。

 

 もしあの時、素直に診断を受けて医師の手により発達障害と認められていたら、きっと自分も親も今とは意識が違ったのだろう。

 だが今更どうすることもできない。どんな顔をしてまた病院に行きたいと言うのか。

 そんな選択を取る勇気は無い。どうせ話しても無駄だろう、話など通じないだろう、という諦めの思考しかとることができない。

 親に植え付けられ、まともに会話を取り合ってもらえず、誰にも話すことのできない苦しみを抱え、学習性無力感に陥り、希死念慮に埋もれながら日々を過ごす自分。

 機能不全家族の子供に生まれた無能の末路。

 はやく自殺したい、死にたい、殺されたい。