自殺したいニートの自分と社会で生きる普通の人達
ツイッターには自殺したいと思っている人が沢山いるのに、外に出てしまえば自殺なんかしたいとは思わない普通の人で溢れかえっているという事実が自分を苦しめる。
自分の居場所がネットのごく一部にしかない。
引きこもりのニートなのだから当たり前のことなのだけど。
自分が社会で生きていけるとは思えない。
自分が社会でまともに働けている姿を想像できない。
取り返しのつかない失敗をしてしまう姿しか思い浮かばない。
自分には心理学で言うところの「心の安全基地」という存在が無い。自分が非難されてしまったらもう誰に頼ることもできず誰に助けてもらうこともできない。
子供の頃から親も他人も信頼できず信用できず助けてほしいという本心を誰にも言えなかった自分は失敗することができない。
失敗しても頼れる相手が居なかったから失敗を恐れ、失敗することへの恐怖から完璧主義思考に染まり、それが今も自分を苦しめる。
簡単に考えを変えられればどれほど楽なことか。現状も脱却する道もあるのだろう。
どうせまたいつものように失敗する。どうせいつものように失敗して一人でまた苦しむ羽目になる。
そんな諦めの学習性無力感が自分を苦しめる。
どうせ何を言ったって引きこもりのニートが発する甘えなんてことは分かってる。
それは間違ってもいないし、間違いなくそれは正しい。
自分は正しくない。甘えと努力不足と自己責任で固められたゴミ。
だから自分を殺したい。この社会から処分したい。
間違っている存在だと自覚しているから死にたい。
死なせてほしい。死ぬ勇気が欲しい。
人間にも安楽死処分制度が欲しい。
つらい。死にたい。