学習性無力感の日々。

学習性無力感の日々。

掠れそうな引きこもりニートの呟き

子供の頃から自分には将来の夢という物が無かった

 子供の頃から自分には将来の夢という物が無かった。

 ◯◯屋さんになりたい、運転士になりたい、スポーツ選手になりたい、だとか、そういった夢が自分にはなかった。

 自分が大人になれるとは思えなかったから。自分が大人になって何かの仕事につけている姿が想像できなかったから。

 想像できずに身体だけは大人になってしまった。今も自分は大人になった姿を想像できない。

 将来の夢なんて何の意味があるのだろう。そんな物に自分がなれるとでも思っているのだろうか、と子供の頃の自分は疑問に思いながら他のクラスメイト達を見ていたのを覚えている。

 自分の可能性というものを持っている人ならば将来の夢を作文にして提出することなど簡単なことだったのだろうか。

 自分は何になれるかずっと不安だった。自分は大人になった時に何ならできるのだろうかとずっと不安に思っていた。

 何にもなれない。何にもなれないまま今も生きてしまっている。

 普通の人達はもうとっくに働いて自分の価値を見出して立派な大人になれているのに、自分の精神は将来の夢が分からない小学生の頃のままで成長していない。引き離されていく。

 

 今の自分が将来の夢を挙げるとすれば、やはり死ぬこと以外は何も思いつかない。

 駅のホームに立って後ろから突き飛ばされて猛スピードで突っ込んできた通過列車に轢かれるのが将来の夢です。もしくは集団自殺の会に参加して睡眠薬を貰って皆で練炭自殺するのが将来の夢です。でもそれは現実的ではないので国有林でブロンを飲んで気持ちよくなったらロープで首を吊って人生を終わらせるのが将来の夢です。

 書いていて虚しくなってきた。こんな下らないお人形遊びのような台詞を書いて何が面白いのだろう。つまらない。下らない。