学習性無力感の日々。

学習性無力感の日々。

掠れそうな引きこもりニートの呟き

もっと早く死ぬ勇気が持てていたらと後悔し続ける人生

自殺したい。なんで生きているのだろう。

今のこの状況、引きこもりニートという立場、こんなことになる前になぜ自殺できなかったのだろう。

いつもそう思いながら過ごしている。自殺という唯一無二の選択肢を取れぬまま生きてしまっている。

なぜ生きなければならないんだろう。死にたいと思いながら過ごしても自殺しなければ何も変わらない。当然分かっているのに死ぬ勇気が出せない。

死ぬ勇気をもっと早く、具体的に言えば既に自殺を現実的な選択肢としてしっかり意識していた中学生の頃に持てていたとしたら、今こうして生きていることはなかったはずなのに。

中学生の頃には既に自分にできることなんか何もなくニートになっていることは普通に想像していた。現に今そうなっている。もし自分が中学生に戻ったとして他に選択肢があるとは到底思えない。

どこまで遡り戻れたとして自分が別の道を歩めている姿が全く想像できない。

普通の人達はどうやってまともな人間として生きているのだろう。俗に言う毒親育ちの人でも引きこもりニートにならず社会に出て働けている人などいくらでもいる。

毒親育ちだからこそ家から追放されて社会へ出ざる負えない人もいたのだろう。その人からしてみれば自分など家に引き籠もれているだけ甘いし舐めているのかと言われても仕方ない。それに対して反論などできやしない。

どうすれば良かったのか全くわからない。生まれた親が悪かったとしか考えられない。そしてそれは世間一般的にはどうしようもない屑の考え方として扱われる。自分は悪くない、親が全て悪い。そういう考え方。

じゃあ実際どうすれば良かったのか誰か具体的に教えてほしい。自己責任や自業自得や努力不足や甘えという言葉で切り捨てず具体的な解決策を一から十まで説明してほしい。何もかも分からないことだらけでどうしようもない。

何を言っても屁理屈と言われ、正論に潰され、屑として引きこもりニートとして過ごし死ぬ勇気が持てず生きてしまっているのはどうすればいいのか誰かに聞いたとして誰も答えてなんかくれない。

だから何なんだろう。自問自答しても何もわからないし、そもそも自分が何を言いたいのか何を伝えたくてキーボードを叩いているのか全く分からなくなってきた。ODした勢いで頭の中に浮かんだ文字を脊髄反射的に流しているだけで全くもって脈絡がない。

結局、いくらどう屁理屈を並べ連ねても、死ぬ勇気を持てず、だらだらと生きている現在は何も変わっていない。

そんなことより今すぐ死にたい。機械の電源を落とすように突然真っ暗になって何も感じず人生を終えたい。

だれか助けてほしい。はやくこの人生を死で救ってほしい。ここから出してほしい。生きていることが苦痛で仕方ない。人生から救い出してほしい。殺してくれ。

自分自身のご機嫌取りをしながら生きる無意味な生活

毎日毎日、自分自身のご機嫌取りをひたすらしている。

それをすることに精一杯で、家に引きこもってただ何もせずニートとして過ごしているのに日々疲れている。

食事もオナニーも睡眠も精神を安定させるために義務的に行っている気がする。

自身の精神が乱れないことだけを重点に日々を無駄に過ごしている。

無意味な生活、無意味な人生。

自然になにもせず勝手に意識が落ちるように死ねたらいいのに。

 

傷つくことを恐れて、傷つかないようにありとあらゆる物を避けて、他人からも自分自身からも傷つけられることが怖くて、何もせずに過ごす。

外に出れば他人の目線が自分を傷つける。自身の精神が乱れている時は自身の脳内から止め処なく溢れ出す思考の数々が自分を傷つける。

傷つきたくない。だから何もしたくない。

自分には頼れる相手がいない。誰も頼ることができない。友達もいないし、親になんか頼れるわけがない。話の通じない親を相手に頼ろうだなんて到底思えない。

当然、カウンセラーなんて連中には死んでも頼りたくない。これまで出会ったカウンセラーと名乗る人間は自分の敵でしかなかった。この世で一番嫌いな人種だ。

頼れる相手の居ない自分は一人で抱え込まなければならない。傷ついても苦しんでもそれは全て自分の自己責任。全て自分が悪い。

それを受け入れず、受け流せない自分が一番悪いんだ。でも自分は大人になれない。

だから引きこもって苦しみから逃れて傷つかないように日々を過ごすことしかできない。

社会と接しなければ自分の無能さや間抜けさに押しつぶされる機会も減る。

何周遅れか図ることもできない、どうすることもできない周りとの差も痛感させられる機会も減らせる。

心を閉ざし、引きこもっていれば自分は精神をある程度は安定させられることができる。

 

でもそれは結局逃げているだけ。何の解決にもならないことは当然分かっている。

だが自分はそれを変える方法がわからない。ハードルが多すぎて一人で実行に移せる現実的な方法は無いし、当然ながら他人に頼る方法もわからない。誰に頼ればいいのか誰から本当に心から信頼できるのか、はたしてそんな他人が現実に存在するのか、いたとしても自分はその相手を信用することはできないだろう。他人を信用することなんかできるわけがない。

いつまで逃げ続けるかはわからない。そして生き続ける限りこの苦しみは終わることもないだろう。だからこそ自殺に踏み切らなければならない。自分は自殺をしなければならない。それは当然分かっているはずなのに、まだ未だに死ぬ勇気を持つことができない。

死ぬ勇気があれば矛盾に満ちたこの生活を終わらせられる。自殺こそ救いなはずなのに、自分はそれをする勇気が持てない。

なんとか、いつか、自殺できる日が来ることを信じて、今日も無意味に自分自身のご機嫌取りをしながら生きている。