学習性無力感の日々。

学習性無力感の日々。

掠れそうな引きこもりニートの呟き

自分自身のご機嫌取りをしながら生きる無意味な生活

毎日毎日、自分自身のご機嫌取りをひたすらしている。

それをすることに精一杯で、家に引きこもってただ何もせずニートとして過ごしているのに日々疲れている。

食事もオナニーも睡眠も精神を安定させるために義務的に行っている気がする。

自身の精神が乱れないことだけを重点に日々を無駄に過ごしている。

無意味な生活、無意味な人生。

自然になにもせず勝手に意識が落ちるように死ねたらいいのに。

 

傷つくことを恐れて、傷つかないようにありとあらゆる物を避けて、他人からも自分自身からも傷つけられることが怖くて、何もせずに過ごす。

外に出れば他人の目線が自分を傷つける。自身の精神が乱れている時は自身の脳内から止め処なく溢れ出す思考の数々が自分を傷つける。

傷つきたくない。だから何もしたくない。

自分には頼れる相手がいない。誰も頼ることができない。友達もいないし、親になんか頼れるわけがない。話の通じない親を相手に頼ろうだなんて到底思えない。

当然、カウンセラーなんて連中には死んでも頼りたくない。これまで出会ったカウンセラーと名乗る人間は自分の敵でしかなかった。この世で一番嫌いな人種だ。

頼れる相手の居ない自分は一人で抱え込まなければならない。傷ついても苦しんでもそれは全て自分の自己責任。全て自分が悪い。

それを受け入れず、受け流せない自分が一番悪いんだ。でも自分は大人になれない。

だから引きこもって苦しみから逃れて傷つかないように日々を過ごすことしかできない。

社会と接しなければ自分の無能さや間抜けさに押しつぶされる機会も減る。

何周遅れか図ることもできない、どうすることもできない周りとの差も痛感させられる機会も減らせる。

心を閉ざし、引きこもっていれば自分は精神をある程度は安定させられることができる。

 

でもそれは結局逃げているだけ。何の解決にもならないことは当然分かっている。

だが自分はそれを変える方法がわからない。ハードルが多すぎて一人で実行に移せる現実的な方法は無いし、当然ながら他人に頼る方法もわからない。誰に頼ればいいのか誰から本当に心から信頼できるのか、はたしてそんな他人が現実に存在するのか、いたとしても自分はその相手を信用することはできないだろう。他人を信用することなんかできるわけがない。

いつまで逃げ続けるかはわからない。そして生き続ける限りこの苦しみは終わることもないだろう。だからこそ自殺に踏み切らなければならない。自分は自殺をしなければならない。それは当然分かっているはずなのに、まだ未だに死ぬ勇気を持つことができない。

死ぬ勇気があれば矛盾に満ちたこの生活を終わらせられる。自殺こそ救いなはずなのに、自分はそれをする勇気が持てない。

なんとか、いつか、自殺できる日が来ることを信じて、今日も無意味に自分自身のご機嫌取りをしながら生きている。