学習性無力感の日々。

学習性無力感の日々。

掠れそうな引きこもりニートの呟き

引きこもりニートを脱出できたとして、その後どうするの?

今、引きこもりニートとして何もせず過ごしているのだけれど、そんなゴミクズでも時々引きこもりニートから脱出したいという気持ちにはなる。

いつまでも続けられる物ではないことは、人の気も知らず罵声を浴びせかけるようなカウンセラーと呼ばれている自分にとっては敵でしかない存在から言われなくとも、当然自覚はしているのだ。

だが、引きこもりニートを脱出できたとして、その先どうするのか。

もし、万が一、今の自分に引きこもりニートを脱出できる手段があったとして、それを行い脱出できたとして、それが今までの過去を帳消しにするものではない。

小さい頃から受け続けてきた心の傷も、希死念慮も、無力感も、全てそのまま。

リセットされるわけでもないのに、苦しみながら生きるための行動をする理由とは?

もしかしたら、引きこもりニートを脱出する際にその悩みは解消される可能性があるかもしれない。でも自分はそれを到底信じることができない。

死ぬことが一番の目標として小学生の頃からただ流されて生き続けてきた生き方が全く正反対に変わるような出来事があるとでも言うのだろうか。

自分は社会復帰できる気がしない。社会復帰してもその先には何もない。自殺しか見えないし、見ることができない。それ以外何も考えることはできない。

どうせ誰も分かってなどくれない。自己責任と努力不足と甘えという単語で自分の思想は全て否定することができるからだ。

だから自分は諦めるしかない。諦めという方法しかない。諦めて自殺する日まで無意味に過ごして、こうしてまた早朝に吐瀉物のような文章を汚物入れのようなブログにぶちまけようとしている。

何もかもが違う。全て無かったことにしたい。なぜ生まれてきてしまったの?

感情に流されて

眠れない。

苦痛と焦燥感と虚無感に満たされ感情が流されていく。

何時間も布団の中に入り、目を瞑っていても心臓の動悸と脳が圧迫されるような苦しみは無視できず、無意味に起き続け瞼の裏側と天井を交互に見続ける時間だけが過ぎる。

ただひたすら苦しい。

過食し、ODをする、したい、しよう、そんな感情に流されるまま逆らえず起き上がり、今の気持ちを文字として入力しネットに排泄していく。

虚しい日々がいつまでもいつまでも続いていく。

去年も今年も、何もせず何の意味もなく過ぎていく。

いつ自分は自殺できるのだろう?いつ自分は自殺を決心できるのだろう?その時の自分は上手く確実に自殺できるのだろう?

そんな答えの出ない疑問が延々と脳内で繰り返されていく。

生きたくない。生きる希望もない。生きて何かやりたいこともない。生きていても意味がない。生きることが前提とした考え方ができない。生きてる意味がわからない。

なぜ?

 

何もかもが終わってほしい。全てがなかったことになってほしい。

努力不足という一言で切り捨てられる程度の無意味な今を、ボタンを押すと消える家電のように全て終わってほしい。

全部、何もかもが違う。間違っている。自分を消し去りたい。

苦痛