学習性無力感の日々。

学習性無力感の日々。

掠れそうな引きこもりニートの呟き

人に迷惑をかけない自殺方法が存在しないという不条理

 電車への飛び込み、高所からの飛び降り、首吊り、入水、練炭による酸欠死、どれも他人に迷惑がかかる。

 電車への飛び込みは利用客に迷惑がかかるのは勿論、不可抗力とは言え人間を轢いてしまった運転士には精神的な負荷を与えてしまうし、駅員は轢かれてあちこちに散らばった死体の肉片を拾い集めなければならない。

 整備士には車体の下を点検して肉片が無いか調べて運転に支障をきたさないかチェックするという手間を増やしてしまう。

 電車を止めると多額の損害賠償が遺族に請求されるというのは有名な話だけど、どうやら本当はよほどのことがない限り請求されることは無いらしい。

 でも実際は請求してやりたいんだろうな。時間もお金も現場に携わる人達の精神面的にもこんな理不尽な話はない。

 高所からの飛び降りも大変。マンションやビルなら風評被害で地価や印象などが下がるという直接的な影響があるし、地面に叩きつけられてぐちゃぐちゃになった死体を処理するのもつらいだろう。

 入水も死体捜索に携わる人達に迷惑がかかるし、ネットで調べたところ死体は水で膨れ上がって酷い有様だそうな。

 首吊りや練炭自殺はまだ他よりはマシとは言え、室内でやればその建物の価値は下がる上に事故物件として普通より安い値段にしなければ誰も借りたがらない。当然室外でやろうと死体を処理する人に迷惑をかけることには変わりない。それが私有地なら地主にも迷惑がかかる。

 消去法で選べば国有林がマシだろう。でも完全に他人に迷惑をかけないという訳では絶対ない。

 結局、どこでどんな死に方を選んだとしても他人に迷惑をかけない死に方など存在しないわけで、どれがマシか考えていてもどうしようもない。

 無条件の安楽死が存在していたらこんな悩みは解消されるのに。

 生きたくない。

無能は死ぬべきだとなぜはっきり言わないのか

 想定外のことが起きるとすぐ頭が混乱してしまう欠陥人間なので、自分は死ななければならない。

 働ける気がしない。無能すぎてどうしようもない。

 無能エピソードは生きてきて膨大な数はあるのだけれど、自己防衛なのだろうか上手く思い出すことができない。

 思い出したところで苦しむだけなのだからそれで構わないのだけれど。

 覚えているのは、どうしようもない失敗ばかりしてしまっている無能だという事実だけ。

 自分には生きている資格がない。

 いくら綺麗事を並べたところで、自分で稼いで生きていけない人間は死ねというのがこの社会なので自分は死ななければならない。

 生きることが許されていない。

 いつまでもひきこもりニートできるわけじゃないから、常に自殺することを頭の中に入れておかないと、本当にその時が来た時にどうしようもなく苦しむ羽目になる。

 だから、その前にいつか決断して自殺という行動に移さないと。

 死ぬことだけが唯一にして完璧な解決方法なのだから。

 無能が生きる道はない。

 自分の現状を知らない他人の下らない慰めを聞いたところで何の役にも立たない。

 自分は自分の現状をしっかりと把握しているからこそ、死ぬべきだと判断している。

 現実やネットに転がっている理想的な言葉の数々が憎い。

 浮ついた文字を並べず、素直に死ねとなぜはっきり言わない。

 心の奥では無能は今すぐ死ねと言いたいくせに。

 本音と建前の社会に自分は馴染めない。馴染みたくもない。

 自殺することで自分が嫌う様々な苦しみから逃れることができる。

 はやく解放されたい。人生から逃げなければ。