学習性無力感の日々。

学習性無力感の日々。

掠れそうな引きこもりニートの呟き

無力感に押し潰されて、死ぬ日を待っている

引きこもりのニートが日々生きていくコツは何も考えないこと。

何も考えたくないし、何も感じたくない。ただ日々を流されてなるべく苦しまないように精神状態を安定させようと自分に気を使いながら過ごすだけ。

トイレの便座に座ったり、布団の中に入ったり、何もすることがなくてぼーっとしてる時、ふと無意識に口に出るのは「自殺」「死にたい」「つらい」「嫌」という呟き。

意識せず小さな声で出てしまうので、家族の前では出さないように日々気を使って過ごしているのだけれど、いつか漏れてしまいそうでどうしようもない気持ちになってしまう。

何をすわけでもなく、苦しまないように時間を潰すだけに自分はネットを見ているのだと思う。

ネットで文字や映像を見てさえいれば苦しみをなるべく感じないようにすることができている気がするから。

何の意味もない現実逃避だけど、現実逃避しなければ希死念慮に押し潰されて苦しむだけ。結局は甘え。

昔は小説を読んだり映画やアニメを見れるくらいの集中力はあった。好きな本や作品もあった。

今ではそれらをまた見直すこともできない。見たいという思考が集中力に追いつかない。

落ち着きがどんどん減ってきている。自分は何がしたいのかわからない。精神に余裕がない。

頭を使わなくても楽しめるインターネットに依存しきっている。

こんな日々から抜け出したいという気持ちはある。でも抜け出す方法はわからない。検索してみても自分の条件に合う方法なんて見つかることはない。

現実的に行える最善の脱出方法は自殺であることはずっと前から気付いているし、それを行わなければ抜け出さないことも知っている。

自分に少しでも死ぬ勇気があれば、もしくは死ぬ勇気がなくても衝動的に何らかの方法で自殺に移るくらい狂ってしまえれば、そんなことを考えていると苦しくなるからまた何も考えないように日々を逃げ続ける。

今この瞬間、何気なく心臓が止まって死ねれば、もしくは寝たら二度と目覚めることはなくそのまま死ねたら、そんな非現実的で都合の良い妄想をすることばかり。

そんなどうしようもない現実逃避をしていても死ねるわけもない。死にたいと思えば死ねるならこんな恥を晒して生きているわけがない。

だからこそ自殺行動を起こさなければならないのに自分は今日もまだ生きている。

死にたいならとっとと死ねばいいのに。

誰か殺してくれ。