辛いことから逃げた先にある甘えと自己責任論
学校が辛かったら不登校になって逃げろ、会社が辛かったら退職して逃げろ、そんなふわふわとした無責任論が良い言葉として扱われる狂気の社会。
なら実際に逃げた人になぜ辛い言葉を浴びせるのか。
それはお前の甘えだ、お前の自己責任だ、お前の努力不足だ。
そしてそのような逃げろと言われて逃げた人達へ送られる言葉も正論として扱われるこの社会。
本音と建前、嘘も方便、理想論と現実論、平気で綺麗事を言い自分が良いことをしていると自分に酔いしれる無責任な人々。正論の名をもとに弱者を傷つけ社会の自然淘汰を行う人々。
正論と根性論と精神論とスピリチュアルに汚染されて自分はどんどん壊れてゆく。
自分が正しいと思い込んだ人には手を付けられない。何を言ったとしてもそれは本人には届かない。お願いだから関わらないでと祈ることしかできない。
ひたすら苦しいだけの人生。楽しく生きられる人の心情が理解できない。なぜ死にたい自殺したいと思わないのか、なぜこの世界で生きていられるのか、なぜこの世界で子供を生もうとして不幸を生み出すのか。
考えが止まらず、自分の頭にはただひたすら死にたいという感情ばかりが残る。
狂っているのはこの社会ではなく自分。社会に普通に馴染めている人が大多数なのにそこへ馴染めないほうがおかしいし間違っている。
世界は間違っていると言うのは簡単だけれど、世界を否定したところで自分が間違った存在であることは何も変えられない。自分は正しいと思い込んでしまえば自分の嫌う連中と同格に落ちてしまうだけ。
普通に生きていける人達にはなれない。自分こそが正しいと傲慢を振りまく人間にもなりたくない。何もしたくない。消えてしまいたい。死にたい。
その場の感情を脊髄反射で打ち込んでいるだけの文章。自分でも何が書きたいのか分からずに書いているのだから読んでいる人には意味不明の怪文書にしか見えないだろう。
自分がなにをしたいのかが分からない。何もしたくない。楽になりたい。生きる苦しみから開放されたい。自殺したい。つらい。
全員死ねばいい。もしくは自分が死んで何も感じなくなればいい。汚らしい。
世界は汚い、でも自分はもっと汚い。汚い物は存在する価値が無いから死ななければならない。殺されたい。
つらい。