学習性無力感の日々。

学習性無力感の日々。

掠れそうな引きこもりニートの呟き

自分はまともに生きていく為の知能が足りていない

 社会の常識って普通の人はどうやって覚えるんだろう。知らないことやわからないことが多すぎてつらい。

 環境が変わる度に自分は馴染めず、慣れず、分からないことだらけで困惑していたのに、他の人達は自分の分からないことまであたかも常識かのように振る舞い行動している。その度に自分は疎外感と劣等感に心を締め付けられてきた。普通の人達は知らないことを簡単に理解したり、分からない事を聞くことができる他人がいて当然なのだろうか。

 学校は勉強をする場所だけではなく、社会に出る練習の場でもあるんだから行かなきゃダメだよ。と、学生時代にカウンセラーに言われたことがあるのを思い出した。学校に馴染めない自分が社会に馴染めるはずもなく。

 学校に行かなくてもいいと不登校を容認するような風潮が最近はあるみたいだけど、自分には違和感しかない。不登校と無職、何が違うのだろう。どちらも社会に馴染めない社会的クズであることには違いないのに。

 不登校はクズ扱いが当然という考えで今まで生きてきたから、最近の風潮は自分には理解できない。成人になれば自動的にクズから脱却してまともに働ける立派な大人に自動的になれるという考えなのだろうか。

 何もかもが分からないことだらけで、どうすればいいのかも分からない。簡単に理解できる賢さがあればこんなことにはなっていない。社会で生きていける普通の人達にとって当たり前のことができない。やり方がわからない。

 考えすぎ、なんて適当なことを言って否定する人間が嫌い。お前に俺の何が分かるというのか。普通の人は分かって当然であり、知っていて当然のことが分からないから必死に考えて、失敗しないようになんとかしようと頑張ろうとした。考えなければどうにもならなかった。今はもう疲れて無気力しか残っていない。

 何をしてもどうしようもない。失敗しかなく、成功体験が全くない。ひたすら劣等感に押しつぶされ、学習性無力感が深く根底に根付いて、自分は死を望むことしかできないクズになった。どうにもならない。

 まともに生きていく為の知能がまるで足りてない。どんなに苦しもうと結局は甘えの一言で否定されるだけだから諦めている。何を言ったって甘えと努力不足。全部自分が悪い。自己責任。どうしようもない。